沖縄の飲み屋スポット
沖縄食事
僕らは仕事のストレスを紛らわせるためによくスナックを利用していた。那覇で仕事をしているときは那覇市松山で、沖縄市に住んでいるときは中の町とかゴヤマートの横にあるスナック街など。具志川の赤道十字路にもたくさんあるけど入ったことはない。
初めての人のためにレクチャーしといてあげましょう。時間制のところなら内地よりははるかに安くて2名以上なら一人一時間3000円~3500円くらい。4000円以上ならボラれている。また、一人で行くとマンツーマンだが倍額になるので要注意。時間制ではなくてボトル制のところももちろんあります。こちらは沖縄に住んでいる会社の人の行きつけの場所に連れていってもらっただけだけど、ボトル(泡盛なのだ)が9000円~で、テーブルチャージが4000円だった。
さて日本でキャバクラというと大型の部屋に女性がたくさんいて、だいたいよほどのことがない限りマンツーマンになる。でもここはスナックであるから、女の子はキャバクラほどいなくて2名に一人くらいつく感じ。でもテクニックがあるので、空いている時間であれば人数分付けてくれることを利用して空いている店を狙うとか、早い時間にいくとかするのは常套テクニックである。外に客引きがいっぱいいるから(特に那覇市松山のローソンの前はすごい)、値段とか空いているかどうか交渉しましょう。
沖縄は日本でも有数の風俗街である。那覇市辻や宜野湾市新町はソープ街であるし(値段は知らない)、那覇市松山はスナックとピンサロばっかり。那覇市前島は僕から見るとちょっと死んでいる。そもそも某車の雑誌「ト○○○○」の後ろ半分は風俗情報で占められているのだ(コンビニで買える)。ほとんどがデリヘル。「ア○○○」とかいう求人情報誌も同じく風俗情報に等しい(ガソリンスタンドに置いてあることがある)。あとの裏事情については書かないけど、実は沖縄市の中の町はもう少し奥が深いのだ。これについては書かない。もしどうしても知りたければ自分で通ってみることだ。
信じてもらわなくてもいいけど、ピンサロをよく飲みに使っていた。ピンサロというのは仕切りがあって、薄暗い部屋で女の子が口で抜くというところだ。沖縄では那覇市松山でも中の町でも40分7000円と相場が決まっている。僕は女の子がくるなり「抜かなくていいよ。恋人感覚で飲みたいだけなんだ」といつもいう。だいたい女の子はびっくりする。
「スナックだと距離感を感じるわけさ。だけどここでは恋人みたいに飲めるでしょ。だからこういう店を利用するのさ」
「ふーん」
中には「ホントにいいの?絶対店長に言わない?後でバレたらあたしが怒られる」とかいってくる人もいるが、だいたいはよろこんで話につきあってくれる。人間たるもの、異性の肌に触れたいと思うときはある。特にしばらく一人でいるときはそう。昔なにかのテレビ番組の相談で「ここずっと夫婦生活がなくて、でも女だって肌と肌を重ね合いたいの・・・」という旨の話をしていたことがあったが、その考え方はあまりにも自然である。もしそんな気分が起こらないやつがいたらその人の青春は終わっているのだ。そしてそういう考えは不潔でも何でもないし、それをとがめている人間のほうがよっぽどどうにかしている。
中の町で不思議な女性に出会った。入った店で「ナイチャーはつけんといて」といって待っていると(ナイチャーの女の子はこんな店でもよくいるのだ)、キレイな女性がはいってきた。一度目、二度目と恋人感覚で寄り添って肩を抱き寄せながらお話しして別れ、また日がたって三回目に来たときには、かなりなついてくれていろんな過去の話をしてくれた。
小学校5年の時に、父親にレイプされたという。「あいつが一年で出てきたときはショックだった」と彼女はいった。僕は何もいうことができなかった。
「あたしキティーちゃんがすっごく好きなのね。ねえ、名古屋って限定版のキティーストラップってないの?」
「あると思うよ。今度みつけとくよ。でももう名古屋に戻らないといけないから、今度いつこれるかわからないよ」
「じゃあ、ちょっと待ってて」といって彼女は自分の携帯からキティーのストラップを僕の携帯に付けてくれた。嬉しかった。
人生は不条理であるとよくいわれる。確かにそう思う。バンコクはアジアをまわるときの中継地として毎年いっているが、ゴーゴーバーで飲んでいるときにもいまだにそう感じる。僕はたまたま日本のごく普通の家庭に生まれただけの男なんだって。みんなそれぞれの与えられた人生を生き切らねばならない。誰もが自分を最高に表現したいと願いながら生きていると思う。でも人間は平等ではないから、生まれた国や場所、そして僕が小学校6年の時に40針縫うケガをしたように彼女も小学校5年のときに父親にレイプされるという傷を背負って生きていかなければならない。それに対して平穏無事にたいした苦労もなく生きている人もいる。この不平等で差異があるのが人生であり、そんなことに不平をいうつもりはない。ただ燃焼して生きていない人間をみていると気分が萎えてくる。彼女は自分を精一杯表現できているだろうか?僕にはわからないし、これが自分の理解力の限界であることもよく知っている。キレイ事の言葉をかける人間になりたくもないし。でもどうしようもなく彼女は可哀想だった。もっと良質の苦労を背負わせてあげたかった。
あれから沖縄にいっていないので会ってはいないが、彼女がどんな自己表現をしていって生きていくのかを見てみたかった。
僕は何も沖縄性風俗のススメを書いているわけではない。ただ沖縄学について書いているのであるから、これを飛ばしてはどうしても片手落ちになってしまうだけだ。ホームページをみていると、沖縄についてよく研究して調べているなぁと感心してしまうものはたくさんあるけど、決まって性風俗事情については書かないのが大嫌いなのだ。それはアジアについて書かれたものについてもいえる。
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