
2007年10月13日
沖縄 おきなわオバー
沖縄オバー話 沖縄のおばあちゃんはとっても元気です。
チャーガンジューヤサ!
オバーと言わず、沖縄の女性は男よりも元気が良い。
昔から賃金が安く、共働きしなければやっていけない家庭の事情があり、女性も多くの場合、共働きで社会参加しています。昔から、男の一人も食べさせられないで、一人前の女とは言えないよ、見たいな格言があるくらいで、私の知ってる限りでは、男性よりも女性が働き者確率が高いです。
ですから、年をとってもオバーターはとっても元気で長生き。
70才代で死んだら、「となりのカメオバーは78で死んじゃったよー。ハッサ、早死にヤッサ。」
とか言われるわけで、すごいのは、年をとっても異常に元気なオバーが多いと言う事です。
友達のオバァ
先日も私の友達がオバーの話をしていました。
「この前、オバーが入院してさー、大騒ぎだったってばー。
お腹がとっても痛くって動けなくなって入院したんだけど、検査してもどこが悪いかわからないわけ。親戚中大騒ぎになってもうだめかもしれないってお医者さんに言われて、孫達も皆でお見舞いにいって。」
「それで、オバーもとってもつらそうにしてるわけさー。
私がオバー、どお したー。いつも元気なのに。って聞いたら、小さな声で、
『テレビ見てたらよ、誰でも一日5分の体操で痩せられるって言う宣伝やってるさー。ほら、夜中にやるやつよ。お腹が痩せられるというあの機械、アブ何とかって言うやつ、電話で頼んだらすぐにきて、オバーも太ってて最近からだが重いから、ちょっと痩せようと思って頑張ってやったらよー、次の日になってお腹がとっても痛くて、動けんようになってしまった 。デージ』
なんていうわけさー。 オバー、お医者さんにそのこと言ったね?って聞くと
『はずかしーから言うわけないサー。』
私は急いでお医者さんに話したら大笑いされて一件落着。
翌日退院させられて、オバーは今元気に店番してはたらいてるよ。もー、人騒がせな。」
ちなみに彼女のオバーは85才です。
沖縄でオバーのいる家庭では大概笑い話の1つくらいあるものです。
沖縄に来たら、オバーのお友達を一人くらい作って帰れば楽しいはずよ!
どこにオバーがおっこってるかって?
まーリゾートのホテルにはあまり見かけないから、やっぱり公設市場なんか行ってオバーの店で買い物でもすれば、大概のオバーはユンタカー(話好き)だから、すぐにお友達になれるはず。
渡嘉敷のオバァーター(おばあちゃん達)
渡嘉敷は那覇港から船で10分くらいの離島で、慶良間諸島に属している手ごろなサイズの離島です。当然夏になると多くの観光客がおとづれるわけで、普段暇なオバーターも、その頃になるとパラソル、マスク、足ひれなんかのレンタルショップを開店します。
広場からビーチに入る入り口の細井道の両脇に数件のレンタルショップが出現するわけで、取扱商品はどこもおんなじだからチャーガンジューなオバーターが集まって、当然商売合戦も始まります。
「ダー、ニイニイ、パラソル無いとデージ。沖縄のお日様は強いよ!」
「おねえさん、日焼け止めは持ってきたねー。何もせんと大変な事になるよ。」
「渡嘉敷の海は綺麗だから、メガネかけてみたら、さかないっぱい見えるよ」
なんて強烈な買ってけ、借りてけ攻撃を仕掛けてきます。
多分日本でここだけにしか存在しないパラソル組合。
仲間同志の場所とりもいろいろもめたりもするそうですが、皆、明るい素敵なオバーです。彼女達は大戦で悲惨な状況を潜り抜けてきたはずですが、昼間はそんな影すら見せません。
夕方から店も閉めて、夕涼みに出てきてる彼女達に挨拶すると、ひょんな話の弾みで、当時の様子を聞かされる事もあります。オバー、えらいねー。
オバァーの名前
沖縄のオバーちゃんの名前には、ちょっとびっくりする物が有ります。
ウシ、カメ、などの動物系から、カマド-、ナベ-(ナビー)、などの台所道具系など。結構こんな名前のオバーが多くて驚きます。
どーしてオバーの名前がわかるかって?
沖縄では、葬式の時に新聞に掲載するのがしきたりになっていて、一面全部お葬式のページ(死亡欄)なんて事も。
歿年齢も書いてあるんですが、80歳なんてざら。中にはカジマヤー(97歳)もとっくに過ぎた方も結構いっぱい。
でも考えたら、今の女の子たちがオバーになったら、リカオバー、とかなるわけで、それはそれでちょっと…。
友達のオバァー(2)
結構あるんですよ、オバーの話。
これも知り合いの女子大生から聞いたんですが、
「ウチのオバーには、恥ずかしい思いをさせられたってバー。 うちのオバーも一緒に買い物いって何を思ったのか、上等ブラを買ってるわけ。
それで、お手洗い行って、「マキ(友人の名前)、オバーさっき買ったブラジャー、トイレでつけてきたよ。」なんて言うの。
それだけならまだ良いよ。しばらく買物してたら、急にオバーが大声で
「ハッサ、このブラジャー、きつくてイッペー(とっても)苦しくなってきた。とろうね!」
なんて、人込みの中で上着の隙間から手を入れてもぞもぞするわけサー。
しばらくして左の袖から器用にブラを引っ張り出して、
「マキー、やっと取れたサー。」とか言って高々と手に持って見せるわけ。
私、他人のふりしてたってばー。」
そう、オバーは怖いもの無し。正直言って無敵です。だってあの大戦乗り越えてきたんだもん。
ウージー畑のオバァー
ゆっくり南部の道を自動車で走っていました。
ウージー(さとうきび)畑が両側に続く農道です。天気も薄日がさして気持ちのいい風が開けたウィンドウから流れ込んできます。
道の向こうの左側にオバーが一人、日傘をさして立っていました。
道が細いので自動車のスピードを落として通り過ぎようとしたとき、オバーは大声で何か言いました。
なんだろうと車をとめると、オバーは急ぎ足で車の窓まできて
「ニイサン、車乗ろうね!」といってドアを開けようとしています。
「どこまで行くんですか?」と聞くと
「佐敷。」
といい終わる前に助手席にのりこんでいるでは有りませんか。
「歩いていこうと思ったけど、疲れた。」
・・・歩いたら、どう考えたって後30分はかかるはずなのに。
ということで、先の空き地でUターンして佐敷に向かったのでした。
「ニイさん、ヤマトンチュね?」から始まる一連の質問攻めに適当に答えて佐敷の町に近づくと
「ハイ、そこでいいさ。」と細い道の角でヨイショとドアを開けて彼女は車から降りて
「ありがとね。」と言い、すたすた路地に消えてていきました。
なんだか、ちょっとだけ良いことをしたような気分で、車をUターンさせたのでした。
でも、急いでいる人は、オバーの掛け声にとまらないようにしよう!
いや、オバーは急いでいる人は感でわかるのかもしれないなー。
渡嘉敷のオバァ(2)
私の大好きなケラマ諸島の渡嘉敷島に、内地から遊びに行っている時から顔見知りのオバーがいます。食堂、売店と経営してがんばっているんですが、今年の夏、暗くなってから夕涼みがてら散歩していると彼女に会いました。
つまらない話しをしていくうちに、話しは戦争の事になって、渡嘉敷にも米軍が上陸して大変だった事を聞かされました。
「ヤマトの兵隊がアメリカーは鬼だから、つかまったらデージ(大変)特に女は犯されて殺されると言ってたから、アメリカーに追い詰められて山に入ったとき、殺されるよりつらい思いするだろうからって、自分の子供をいろんな方法で親が殺したんだ。石で殴り殺し、自分も包丁で首きって死んだ人、手榴弾持ってて家族でそれで死んだ人、あたりは死臭でいっぱいでさ。
そんなしてるうちにアメリカが私たち見つけて、何か言ってる。でも何だかわからないから生きてつかまったら大変と思って手首切って、あまりの恐ろしさに気を失っていたら、気がついたときはアメリカの兵隊の救護班に助けられ、通訳がなんも心配する事無いってやさしくしてくれた。
それで私も今生きていられるわけさ。逃げようとした若い者を、撃ち殺してたりしてたのはヤマトの兵隊さ。鬼はアメリカーで無くって、日本軍だったって後でわかったよ。」
オバーは、戦争のときの傷跡を見せてくれながら、とつとつと語ってくれました。
渡嘉敷みたいな小さな島でも、500人以上の人が亡くなったといいます。
でも、太陽は亜熱帯の輝きで照らし、今は夏場観光客でいっぱいです。
オバーは商売をしながらそんな過去を背負って生きてる。
だから、彼女等はチャーガンジュー(とっても元気)、無敵です。
オバー、大変だった分も楽しく長生きしてね。
沖縄のおばあちゃんの話だけでできている本があります。とても笑えて、ちょっと感心させられる素敵な本です。本屋で見かけたら読んでみてください。お勧めです。
(べつに宣伝料とってませんが)
発行所:双葉社 03-5261-4854
編:沖縄おばあ研究会 「沖縄オバァ烈伝」 そして続編の 「オバァの喝!」
沖縄で沖縄は沖縄でも無く那覇メインプレス新都心のおもろまちで沖縄
チャーガンジューヤサ!
オバーと言わず、沖縄の女性は男よりも元気が良い。
昔から賃金が安く、共働きしなければやっていけない家庭の事情があり、女性も多くの場合、共働きで社会参加しています。昔から、男の一人も食べさせられないで、一人前の女とは言えないよ、見たいな格言があるくらいで、私の知ってる限りでは、男性よりも女性が働き者確率が高いです。
ですから、年をとってもオバーターはとっても元気で長生き。
70才代で死んだら、「となりのカメオバーは78で死んじゃったよー。ハッサ、早死にヤッサ。」
とか言われるわけで、すごいのは、年をとっても異常に元気なオバーが多いと言う事です。
友達のオバァ
先日も私の友達がオバーの話をしていました。
「この前、オバーが入院してさー、大騒ぎだったってばー。
お腹がとっても痛くって動けなくなって入院したんだけど、検査してもどこが悪いかわからないわけ。親戚中大騒ぎになってもうだめかもしれないってお医者さんに言われて、孫達も皆でお見舞いにいって。」
「それで、オバーもとってもつらそうにしてるわけさー。
私がオバー、どお したー。いつも元気なのに。って聞いたら、小さな声で、
『テレビ見てたらよ、誰でも一日5分の体操で痩せられるって言う宣伝やってるさー。ほら、夜中にやるやつよ。お腹が痩せられるというあの機械、アブ何とかって言うやつ、電話で頼んだらすぐにきて、オバーも太ってて最近からだが重いから、ちょっと痩せようと思って頑張ってやったらよー、次の日になってお腹がとっても痛くて、動けんようになってしまった 。デージ』
なんていうわけさー。 オバー、お医者さんにそのこと言ったね?って聞くと
『はずかしーから言うわけないサー。』
私は急いでお医者さんに話したら大笑いされて一件落着。
翌日退院させられて、オバーは今元気に店番してはたらいてるよ。もー、人騒がせな。」
ちなみに彼女のオバーは85才です。
沖縄でオバーのいる家庭では大概笑い話の1つくらいあるものです。
沖縄に来たら、オバーのお友達を一人くらい作って帰れば楽しいはずよ!
どこにオバーがおっこってるかって?
まーリゾートのホテルにはあまり見かけないから、やっぱり公設市場なんか行ってオバーの店で買い物でもすれば、大概のオバーはユンタカー(話好き)だから、すぐにお友達になれるはず。
渡嘉敷のオバァーター(おばあちゃん達)
渡嘉敷は那覇港から船で10分くらいの離島で、慶良間諸島に属している手ごろなサイズの離島です。当然夏になると多くの観光客がおとづれるわけで、普段暇なオバーターも、その頃になるとパラソル、マスク、足ひれなんかのレンタルショップを開店します。
広場からビーチに入る入り口の細井道の両脇に数件のレンタルショップが出現するわけで、取扱商品はどこもおんなじだからチャーガンジューなオバーターが集まって、当然商売合戦も始まります。
「ダー、ニイニイ、パラソル無いとデージ。沖縄のお日様は強いよ!」
「おねえさん、日焼け止めは持ってきたねー。何もせんと大変な事になるよ。」
「渡嘉敷の海は綺麗だから、メガネかけてみたら、さかないっぱい見えるよ」
なんて強烈な買ってけ、借りてけ攻撃を仕掛けてきます。
多分日本でここだけにしか存在しないパラソル組合。
仲間同志の場所とりもいろいろもめたりもするそうですが、皆、明るい素敵なオバーです。彼女達は大戦で悲惨な状況を潜り抜けてきたはずですが、昼間はそんな影すら見せません。
夕方から店も閉めて、夕涼みに出てきてる彼女達に挨拶すると、ひょんな話の弾みで、当時の様子を聞かされる事もあります。オバー、えらいねー。
オバァーの名前
沖縄のオバーちゃんの名前には、ちょっとびっくりする物が有ります。
ウシ、カメ、などの動物系から、カマド-、ナベ-(ナビー)、などの台所道具系など。結構こんな名前のオバーが多くて驚きます。
どーしてオバーの名前がわかるかって?
沖縄では、葬式の時に新聞に掲載するのがしきたりになっていて、一面全部お葬式のページ(死亡欄)なんて事も。
歿年齢も書いてあるんですが、80歳なんてざら。中にはカジマヤー(97歳)もとっくに過ぎた方も結構いっぱい。
でも考えたら、今の女の子たちがオバーになったら、リカオバー、とかなるわけで、それはそれでちょっと…。
友達のオバァー(2)
結構あるんですよ、オバーの話。
これも知り合いの女子大生から聞いたんですが、
「ウチのオバーには、恥ずかしい思いをさせられたってバー。 うちのオバーも一緒に買い物いって何を思ったのか、上等ブラを買ってるわけ。
それで、お手洗い行って、「マキ(友人の名前)、オバーさっき買ったブラジャー、トイレでつけてきたよ。」なんて言うの。
それだけならまだ良いよ。しばらく買物してたら、急にオバーが大声で
「ハッサ、このブラジャー、きつくてイッペー(とっても)苦しくなってきた。とろうね!」
なんて、人込みの中で上着の隙間から手を入れてもぞもぞするわけサー。
しばらくして左の袖から器用にブラを引っ張り出して、
「マキー、やっと取れたサー。」とか言って高々と手に持って見せるわけ。
私、他人のふりしてたってばー。」
そう、オバーは怖いもの無し。正直言って無敵です。だってあの大戦乗り越えてきたんだもん。
ウージー畑のオバァー
ゆっくり南部の道を自動車で走っていました。
ウージー(さとうきび)畑が両側に続く農道です。天気も薄日がさして気持ちのいい風が開けたウィンドウから流れ込んできます。
道の向こうの左側にオバーが一人、日傘をさして立っていました。
道が細いので自動車のスピードを落として通り過ぎようとしたとき、オバーは大声で何か言いました。
なんだろうと車をとめると、オバーは急ぎ足で車の窓まできて
「ニイサン、車乗ろうね!」といってドアを開けようとしています。
「どこまで行くんですか?」と聞くと
「佐敷。」
といい終わる前に助手席にのりこんでいるでは有りませんか。
「歩いていこうと思ったけど、疲れた。」
・・・歩いたら、どう考えたって後30分はかかるはずなのに。
ということで、先の空き地でUターンして佐敷に向かったのでした。
「ニイさん、ヤマトンチュね?」から始まる一連の質問攻めに適当に答えて佐敷の町に近づくと
「ハイ、そこでいいさ。」と細い道の角でヨイショとドアを開けて彼女は車から降りて
「ありがとね。」と言い、すたすた路地に消えてていきました。
なんだか、ちょっとだけ良いことをしたような気分で、車をUターンさせたのでした。
でも、急いでいる人は、オバーの掛け声にとまらないようにしよう!
いや、オバーは急いでいる人は感でわかるのかもしれないなー。
渡嘉敷のオバァ(2)
私の大好きなケラマ諸島の渡嘉敷島に、内地から遊びに行っている時から顔見知りのオバーがいます。食堂、売店と経営してがんばっているんですが、今年の夏、暗くなってから夕涼みがてら散歩していると彼女に会いました。
つまらない話しをしていくうちに、話しは戦争の事になって、渡嘉敷にも米軍が上陸して大変だった事を聞かされました。
「ヤマトの兵隊がアメリカーは鬼だから、つかまったらデージ(大変)特に女は犯されて殺されると言ってたから、アメリカーに追い詰められて山に入ったとき、殺されるよりつらい思いするだろうからって、自分の子供をいろんな方法で親が殺したんだ。石で殴り殺し、自分も包丁で首きって死んだ人、手榴弾持ってて家族でそれで死んだ人、あたりは死臭でいっぱいでさ。
そんなしてるうちにアメリカが私たち見つけて、何か言ってる。でも何だかわからないから生きてつかまったら大変と思って手首切って、あまりの恐ろしさに気を失っていたら、気がついたときはアメリカの兵隊の救護班に助けられ、通訳がなんも心配する事無いってやさしくしてくれた。
それで私も今生きていられるわけさ。逃げようとした若い者を、撃ち殺してたりしてたのはヤマトの兵隊さ。鬼はアメリカーで無くって、日本軍だったって後でわかったよ。」
オバーは、戦争のときの傷跡を見せてくれながら、とつとつと語ってくれました。
渡嘉敷みたいな小さな島でも、500人以上の人が亡くなったといいます。
でも、太陽は亜熱帯の輝きで照らし、今は夏場観光客でいっぱいです。
オバーは商売をしながらそんな過去を背負って生きてる。
だから、彼女等はチャーガンジュー(とっても元気)、無敵です。
オバー、大変だった分も楽しく長生きしてね。
沖縄のおばあちゃんの話だけでできている本があります。とても笑えて、ちょっと感心させられる素敵な本です。本屋で見かけたら読んでみてください。お勧めです。
(べつに宣伝料とってませんが)
発行所:双葉社 03-5261-4854
編:沖縄おばあ研究会 「沖縄オバァ烈伝」 そして続編の 「オバァの喝!」
沖縄で沖縄は沖縄でも無く那覇メインプレス新都心のおもろまちで沖縄
Posted by 沖縄 at 21:51│Comments(0)